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Pascoの歴史あるバウムクーヘンのご紹介
熟練の職人が丁寧に作り上げる「バウムクーヘン」
バウムクーヘンの歴史 バウムクーヘンが出来るまで

バウムクーヘンの起源と歴史
バウムクーヘンの歴史は古く、紀元前にまでさかのぼります。
中世ポーランド=リトアニア同君連合王国伝統の「シャコティス」をもとにした説、「ガトー・ア・ラ・ブロッシュ」をもとにした説などがありますが、諸説の原型は、紀元前にオベリアス(ギリシア)という木の棒にパン生地を巻きつけて焼いたものが起源だとされています。 その後、時を経て15世紀頃になると、卵やハチミツを加えた菓子となり、18世紀頃から今のようなバウムクーヘンが作られるようになったといわれています。
またドイツのザクセン=アンハント州では、元祖をめぐる争いが過去に起こっており、争った両店はのちに同一人物によって買い取られて収束しました。


バウムクーヘンは中心に穴があり、断面には樹木の年輪のような模様があるのが特徴です。
その名前は、ドイツ語で木を意味するBaumと、菓子を意味するKuchenに由来しており、直訳すると「木のお菓子」となります。断面が木の年輪をイメージさせることからその名前がついたとされますが、作る時に木の棒に生地を巻きつけたから、という説もあります。
生地は小麦粉、卵、砂糖などから作られ、芯棒に生地を絡めて回転させながら焼き、薄い層を作ります。
バウムクーヘン

焼けた層に、また生地を絡めて焼くことを繰り返し、薄い層を重ねていきます。最後に芯棒を抜き、輪切りにして完成です。非常に特殊な製法のため、普通のオーブンでは作れず、バウムクーヘン専用のオーブンで焼き上げます。精魂詰める作業と、オーブンの直火の熱をもろに受けるため、ドイツでは「バウムクーヘン焼きは長生きしない」と言われるほど。

バウムクーヘンは第一次世界大戦後、中国大陸から戦争捕虜として日本に抑留されたドイツ人菓子職人カール・ユーハイムによって日本に伝えられました。
カール・ユーハイムは広島市物産陳列館(後の原爆ドーム)で行われたドイツ人捕虜の作品展示即売会で、仲間に促されてバウムクーヘンを焼きました。これが意外にも日本人に受け、その腕を買われて、銀座の洋食屋の製菓主任として迎え入れられます。
銀座の洋食屋でバウムクーヘンを焼いたのが1919年(大正8年)。その後、妻と息子との再会を果たし、1922年(大正11年)、横浜に店を開いたことから、日本のバウムクーヘンの歴史がはじまります。
日本政府は、近代国家としての成熟ぶりを内外に示すため、ドイツ人捕虜を国際法に則って丁重に扱いました。地域住民と収容所ドイツ人捕虜との交流は盛んで、バウムクーヘン以外にも多くのドイツ文化が伝えられました。
余談ですが、パスコ(敷島製パン株式会社)も1920年(大正9年)にドイツ人捕虜で製パン技師のハインリッヒ・フロインドリーブ氏を迎えて創業しております。
戦争捕虜収容所とその周辺に住む日本人との交流をきっかけにバウムクーヘンは日本に根付いていったのですね。

日本では、結婚式や祝いごとの引き出物としても多く利用され、年輪の形状から繁栄と長寿をイメージするものとして慶事の贈り物などに重宝されています。
意外なことに、本場ドイツでは、バウムクーヘンはそれほどメジャーな洋菓子ではなく、知名度としては名前が知られている程度。むしろ日本のほうが身近で手軽なお菓子として人気は高いと言われています。ちなみに、日本では商品やメーカーによって、バウムクーヘンとバームクーヘンの2つの呼び名がありますが、「バウム」のほうが標準ドイツ語の発音に近いため、6:4くらいの割合でバウムクーヘンと表記されることが多いようです。
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